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      <title>般若心経−写経や音声、意味を紹介</title>
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      <description>般若心経-写経や音声をはじめ、般若心経は現在さまざまなかたちで紹介されています。当サイトでは、真言宗の空海、天台宗の最澄、浄土宗の法然、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元などの情報を整理してまとめています。般若心経のカテゴリーでは基礎知識を充実させて、写経や音声など幅広く紹介していこうと考えています。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2007</copyright>
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         <title>佐伯直田公（さえきあたいたぎみ）の時代</title>
         <description><![CDATA[<p>讃岐国多度郡屏風浦の豪族・佐伯直田公（さえきあたいたぎみ）の子、真魚として、現在の香川県善通寺市に生まれた。母親は阿刀氏の出身。空海が誕生したとされる6月15日は、中国密教の大成者たる不空三蔵の入滅の日であり、空海が不空の生まれ変わりとする伝承に繋がっていく。</p><p>15歳で、桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった母方の舅(おじ)である阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章等を学び、18歳で京の大学に入った。大学での専攻は明経道で、春秋左氏伝、毛詩、尚書等を学んだと伝えられる。</p>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">02空海（弘法大師）</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 15 Jan 2007 09:22:58 +0900</pubDate>
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         <title>中国の天台宗について</title>
         <description><![CDATA[<p>中国の天台宗は、隋の智（ちぎ）（538年−597年、天台智者大師）を第三祖とする大乗仏教の宗派である。</p><p>初祖は北斉の慧文、第二祖は南岳慧思（515年−577年）であり、慧思の弟子が智である。</p><p>智は、鳩摩羅什訳の法華経・摩訶般若波羅蜜経・大智度論、そして涅槃経に基づいて教義を組み立て、法華経を最高位に置いた五時八教という教相判釈（経典成立論）を説き、止観によって仏となることを説いた学僧である。</p><p>しかしながら、「鳩摩羅什の訳した法華経は、現存するサンスクリット本とかなり相違があり、特に天台宗の重んじる方便品第二は羅什自身の教義で改変されている」という説がある。羅什が法華経・摩訶般若波羅蜜経・大智度論を重要視していたことを考えると、天台宗設立の契機は羅什にあるといえなくもない。</p><p>天台山に宗派の礎ができた後、涅槃宗を吸収し天台宗が確立した。主に智の法華玄義、法華文句、摩訶止観の三大部を天台宗の要諦としている。これらの智の著作を記録し編集したのが、第四祖章安灌頂（561年−632年）である。灌頂の弟子に智威（？−680年）があり、その弟子に慧威（634年−713年）が出て、その後に左渓玄朗（673年−754年）が出る。灌頂以後の天台宗の宗勢は振るわなかったため、玄朗が第五祖に擬せられている。</p><p>玄朗の弟子に、天台宗の中興の祖とされる第六祖、荊渓湛然（711年−782年）が現れ、三大部をはじめとした多数の天台典籍に関する論書を著した。</p>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">01天台宗とは？</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 15 Jan 2007 09:26:07 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>天台宗開宗までの最澄</title>
         <description><![CDATA[<p>797年、内供奉（ないぐぶ）十禅師。</p>
<p>802年、高雄山寺（神護寺）法華会（ほっけえ）講師。入唐求法（にっとうぐほう）の還学生（げんがくしょう、短期留学生）に選ばれる。</p>
<p>804年7月、通訳に門弟の義真を連れ、空海とおなじく九州を出発。9月明州に到着。天台山に登り、湛然の弟子の道邃（どうずい）と行満（ぎょうまん）について天台教学を学ぶ。さらに道邃に大乗菩薩戒を受け、&#32731;然（しゅくねん）から禅、順暁（じゅんぎょう）から密教を相承する。</p>
<p>805年5月、帰路の途中和田岬（神戸市）に上陸し、最初の密教教化霊場である能福護国密寺を開創する。7月に上洛、滞在中に書写した経典類は230部460巻。帰国当時、桓武天皇は病床にあり、宮中で天皇の病気平癒を祈る。</p>
<p>大同元年（806年）1月、最澄の上表により、天台業2人（止観（しかん）業1人、遮那（しゃな）業1人）が年分度者となる。これは南都六宗に準じる。これが日本の天台宗の開宗である。<br />このころ、空海から、真言、悉曇（しったん）（梵字）、華厳（けごん）の典籍を借り、研究する。</p>
<p>弘仁3年（812年）の冬、弟子の泰範、円澄、光定（こうじょう）らと高雄山寺におもむき、空海から灌頂（かんぢょう）を受ける。</p>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">02最澄</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 15 Jan 2007 09:28:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>浄土宗の開祖法然について</title>
         <description><![CDATA[<p>勢至丸（後の法然）は父の漆間時国の遺言通り僧侶になる事を誓う。</p><p>比叡山に登る前、叔父の菩提寺という寺院に行った。そこの住職の観覚上人の下で勉学に励んだ。</p><p>しかし、4年の歳月が過ぎ師僧の観覚上人から「お前に教える事はもう何もない、比叡山に行ってはどうか」と言われ、勢至丸は比叡山へわずか13歳（1145年）で行く事となる。</p><p>その後、叡山根本中堂に於いて源光上人より学ぶ。また、源光上人が勉学を教えられなくなり、皇円阿闍梨の下で学ぶ。ここで勢至丸・15歳（1147年）、正式に得度する。</p><p>勢至丸・18歳（1150年）の時、黒谷の別所に移り慈眼房叡空上人に師事して法然房源空（源光・叡空より一字ずつ名を貰った）と名のる。</p><p>承安5年（1175年）43歳の時、善導大師の観無量寿経疏（観経疏）によって専修念仏に進み、比叡山を下りて東山吉水に住み、念仏の教えを弘めた。この年が、浄土宗の立教開宗の年とされる。</p>
]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">01浄土宗とは？</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 15 Jan 2007 09:34:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>浄土宗の立教開宗までの法然</title>
         <description><![CDATA[<p>法然の大師号は現在「円光（東山天皇1697年）・東漸（中御門天皇1711年）・慧成（桃園天皇1761年）・弘覚（光格天皇1811年）・慈教（孝明天皇1861年）・明照（明治天皇1911年）・和順（昭和天皇1961年）」大師としており、50年ごとに天皇より名を頂戴する。</p>

<p>美作国久米（現在の岡山県久米郡久米南町）の押領使、漆間時国（うるま　ときくに）の子として生まれる。幼名は勢至丸。<br />9歳のとき、源内武者貞明の夜討によって父を失うが、その際の父の遺言によってあだ討ちを断念する。<br />15歳の時に比叡山の皇円について得度。比叡山黒谷の叡空に師事して「法然房源空」と名のる。<br />承安5年（1175年）43歳の時、善導の『観経疏』によって専修念仏に進み、比叡山を下りて東山吉水に住み、念仏の教えを弘めた。この1175年が浄土宗の立教開宗の年とされる。</p>
]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">02法然</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 15 Jan 2007 09:37:41 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日本における臨済宗</title>
         <description><![CDATA[<p>宗門では、ゴータマ・シッダッタの教え（悟り）を直接に受け継いだマハーカーシャパから28代目のボーディダルマを得てインドから中国に伝えられた、ということになっている。<br />その後、禅宗の最高峰を極めた臨済宗は、宋時代の中国に渡り学んだ栄西らによって、鎌倉時代に日本に伝えられている。</p><p>日本の臨済宗は、日本の禅の宗派のひとつである。師から弟子への悟りの伝達（法嗣、はっす）を重んじる。釈迦を本師釈迦如来大和尚と、ボーディダルマを初祖菩提達磨大師、臨済を宗祖臨済大師と呼ぶ。<br />同じ禅宗の曹洞宗が地方豪族や一般民衆に広まったのに対し、臨済宗は時の武家政権に支持され、政治・文化に重んじられた。その後時代を下り、江戸時代に白隠禅師によって臨済宗が再建されたため、現在の臨済禅は白隠禅ともいわれている。</p>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">01臨済宗とは？</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 15 Jan 2007 09:52:11 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>臨済宗の印可まで−栄西の経歴</title>
         <description><![CDATA[<p>永治元年（1141年） 吉備津宮（現在の岡山県岡山市、吉備津神社）の権禰宜賀陽貞遠の子として誕生。</p> 
<p>久安4年（1148年） 8歳で『倶舎論』、『婆沙論』を読んだと伝えられる。 </p>
<p>久寿元年（1154年） 14歳で比叡山延暦寺にて出家得度。 <br />
以後、延暦寺、吉備安養寺、伯耆大山寺などで天台宗の教学と密教を学ぶ。行法に優れ、自分の坊号を冠した葉上流を興す。</p> 
<p>仁安3年（1168年） 形骸化した日本天台宗に嫌気し、南宋に留学。天台山万年寺などを訪れ、『天台章疎』60巻を将来する。<br />
当時、南宋では禅宗が繁栄し、それに大いに感化され、仏法復興のために禅の重要性を感じたとされる。</p>
<p>文治3年（1187年） 再び入宋。仏法辿流のためインド渡航を願い出るが許可されず、天台山万年寺の虚庵懐敞に師事。</p>

建久2年（1191年） 虚庵懐敞より臨済宗の嗣法の印可を受ける。同年、帰国。 
福慧光寺、千光寺などを建立し、筑前、肥後を中心に布教に努める。 
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">02栄西</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 15 Jan 2007 09:55:48 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日本における曹洞宗</title>
         <description><![CDATA[<p>日本における曹洞宗は道元に始まる。道元は、鎌倉時代に宋に渡り、天童山で曹洞宗の長翁如浄に師事し、1226年に帰国した。</p><p>道元自身は自らの教えを「正伝の仏法」であるとしてセクショナリズムを否定した。このため弟子たちには自ら特定の宗派名を称することを禁じ、禅宗の一派として見られることにも拒否感を示した。どうしても名乗らなければならないのであれば「仏心宗」と称するようにと示したとも伝えられる。</p><p>後に興福寺から迫害を受けた日本達磨宗の一派と合同したことをきっかけとして、道元の入寂後、次第に禅宗を標榜するようになった。宗派の呼称として「曹洞宗」を用いるようになったのは、第四祖瑩山とその後席峨山韶碩の頃からである。</p>
<p>臨済宗が時の武家政権に支持され、政治・文化に重んじられたのに対し、曹洞宗は地方豪族や一般民衆に広まった。</p>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">01曹洞宗とは？</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 15 Jan 2007 10:01:27 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>道元の生い立ちについて</title>
         <description><![CDATA[<p>道元の出生には不明の点が多いが、内大臣土御門通親（源通親あるいは久我通親）の嫡流に生まれたとする点では諸説が一致している。<br />定説では京都木幡の松殿山荘で通親と太政大臣松殿基房（藤原基房）の娘伊子の子として生まれたとされているが、近年の研究では定説では養父とされている堀川通具の実子とする説が有力になりつつある。<br />また、通親の子、通宗または通光を父親とする説もある。<br />伝記である『建撕記』によれば、3歳で父（通親）を、8歳で母を失って、異母兄である堀川通具の養子になった。<br />また、一説によれば両親の死後に母方の叔父である松殿師家（元摂政内大臣）から松殿家の養嗣子にしたいという話があったが、世の無常を感じていた道元が断ったとも言われている。</p><p>浄土真宗の開祖親鸞とは、互いに母方の縁戚にあたり面識があったとする説があるが確証はない。</p>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">02道元</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 15 Jan 2007 10:03:36 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>般若心経の成立</title>
         <description><![CDATA[<p>西暦2〜3世紀にインドの龍樹が般若経典の注釈書である『大智度論』を著したとされ、般若心経もこの頃に成立したものと推定されている。</p>
<p>しかしながら、現存する最古のサンスクリット（梵字）本は、法隆寺所蔵の8世紀後半（伝承では609年請来）の写本とされる貝葉本(pattra　パットラ＝ヤシ科ターラ学名｢Corypha utan｣などのこと。パルミランヤシ、コリハヤシなども使用される）を漢字で音写、貝多羅葉、略して貝葉　ばいよう)であり、漢訳経典より時代を下る。</p>
<p>また、現在チベットやネパール等に伝わる写本も、それ以降の時代のものであり原形については不明であり、偽経説もある。</p>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">01般若心経とは？</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 31 Jan 2007 16:07:14 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>真言宗の大師信仰</title>
         <description><![CDATA[<p>宗祖・空海（弘法大師）への敬慕が厚い。<br />10世紀には高野山で空海の入定信仰（大師信仰）が起った。弘法大師信仰（大師信仰）を説いているのが真言宗の各派にいえる特徴の一つでもある。</p>
<p>宗祖・空海（774 - 835年）は、讃岐国屏風浦（現・香川県善通寺市）の出身で、仏教者であるとともに思想家、著述家、また「三筆」の1人に数えられる能書家として、後の日本文化に多大な影響を与えた人物である。</p>
<p>彼は延暦23年（804年）、遣唐使船に同乗して唐に渡り、長安・青龍寺の恵果から密教の奥義を授かった。<br/>また、唐で多くの仏典、仏具、仏画などを得、日本へ請来した。</p>
<p>弘仁7年（816年）には高野山（和歌山県伊都郡高野町）の地を得て、ここに金剛峯寺を開創、弘仁14年（823年）には、平安京の官寺であった東寺を嵯峨天皇より下賜され、これら両寺を真言密教の根本道場とした。835年（承和2年）3月21日に、62才で高野山で入定（にゅうじょう）した。</p>
<p>空海が入定してから86年後の延喜21年（921年）に、弘法大師の諡号が醍醐天皇より贈られた。</p>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">01真言宗とは？</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 31 Jan 2007 16:12:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>東・東南アジアの言語に与えた影響力</title>
         <description><![CDATA[<p>サンスクリットはプラークリットと共に近代インド亜大陸の諸言語にも大きな影響を与えた言語であり、この二つの古典語はヒンドゥスターニー語などの北インドの現代語の祖語であるのみならず、ドラヴィダ語族に属する南インド諸語に対しても借用語などを通じて多大な影響を与えた。<br />さらには東南アジアの多くの言語や、東アジアの言語にも影響を与えた。</p>
<p>但し近代インドの諸言語では、特に北部インドのインド語派の言語を中心に高級語彙の供給元の言語としてサンスクリットだけでなくインドのイスラーム化と同時に導入されたアラビア語、ペルシア語も広範囲で機能している。<br />そのため純正なサンスクリット系語彙がインド語派に属する系統的に近いヒンドゥスターニー語などでは失われ、却って系統的に遠い南インドのドラヴィダ諸語の中に保存されているというねじれた事態も少なくない。</p>]]></description>
         <link>http://han.izumos.com/03.html#000098</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">03サンスクリットとは？</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 07 Feb 2007 08:57:54 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>仏道修行への道−空海の誕生</title>
         <description><![CDATA[<p>大学での勉学に飽き足らず、20歳を過ぎた頃から山林での修行に入ったという。24歳で儒教・道教・仏教の比較思想論でもある『聾瞽指帰（ろうごしいき）』を著して俗世の教えが真実でないことを示した（「聾瞽指帰」は、後に序文と巻末の十韻詩を改定、『三教指帰』（さんごうしいき）と改題されている）。この時期より入唐までの空海の足取りは資料が少なく断片的で不明な点が多い。しかし吉野の金峰山や四国の石鎚山などで山林修行を重ねると共に、幅広く仏教思想を学んだことは想像に難くない。『大日経』を初めとする密教経典にであったのもこの頃と考えられている。さらに中国語や梵字・悉曇などにも手を伸ばした形跡もある。</p>

<p>ところでこの時期、一沙門より「虚空蔵求聞持法」を授かったことはよく知られるところである。『三教指帰』の序文には、空海が阿波の大瀧岳や土佐の室戸岬などで求聞持法を修したこと、明星が来影するという形で行が成就したこと、が記されている。求聞持法を空海に伝えた一沙門とは、旧来の通説では勤操とされていたが、現在では大安寺の戒明ではないかと云われている。戒明は空海と同じ讃岐の出身で、その後空海が重要視した『釈摩訶衍論』の請来者である。</p>

<p>空海の得度に関しては、延暦12年20歳にして勤操を師とし槇尾山寺で出家した、という説、あるいは25歳出家説が古くからとなえられていたが、現在では、延暦23年(804)、入唐直前31歳の年に東大寺戒壇院で得度受戒したという説が有力視されている。 また空海という名をいつから名乗っていたのかは定かではない。無空や教海と名乗った時期があるとする文献もある。</p>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">02空海（弘法大師）</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 07 Feb 2007 09:13:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日本の天台宗について</title>
         <description><![CDATA[<p>法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後の呼び名は日蓮教学の法華宗と混乱を招く場合が有るために用いない場合がある。</p>
<p>今現在の日本の天台宗は、本来の天台宗とは大きく異なり、どちらかといえば真言宗に近い。<br />伝教大師最澄（さいちょう、767−822）が延暦24年（805年）唐に渡り天台山にのぼり、その教えを受けて翌年（806年）帰国し伝えたのが日本における天台宗のはじまりである。</p>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">01天台宗とは？</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 15 Feb 2007 11:37:11 +0900</pubDate>
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         <title>浄土教を学んだ僧叡空（えいくう）について</title>
         <description><![CDATA[<p>叡空（えいくう、生年不詳 - 治承3年（1179年））は平安時代後期の天台宗の僧。父は太政大臣藤原伊通とされるが定かではない。房号は慈眼房。</p>
<p>良忍から大乗戒をうけて密教・浄土教を学び、比叡山西塔黒谷に住した。「往生要集」の講義で学名高く、大乗戒律と密教についても比叡山第一の学僧と称され、大乗戒律では黒谷流の祖とされる。<br />多くの公家に対し授戒の師となり、その中でも特に久我家とは師檀関係にあった。1150年（久安6年）には日本浄土宗の祖法然が入門し、天台教学・浄土教学を指導し、大乗戒を授けている。</p>
]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">01浄土宗とは？</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 15 Feb 2007 11:39:14 +0900</pubDate>
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